関係の交感と疎通の美学
私たちはマスメディアを通じても外国の文化や芸術を享有する。
近代国家の形成で胎動したマス・カルチャーは、世界的に各国が置かれている状況によって監視と厳格な統制が続いてきたが、それにも関わらず境界を越えて異質の壁を打ち崩してきた。メディアが生んだポップアート、韓国のポップアート一世代作家イ・ドンギを見ると、大衆文化と芸術を関係づける一連の歴史を辿ることができる。
韓国では1984年、国営放送KBSを通じて日本のアニメ、手塚治虫の「帰ってきたアトム」が初めて放映された。地球の人間達の幸せを守るために作られたロボット、この勇敢で元気な宇宙少年アトムは私たちのヒーローだった。
アトムはこうして10年が経った後も「宇宙少年アトム」として再びテレビに登場し、愛され続けた。
もう少し時間を遡ると、手塚治虫は戦後、日本で発行され始めたB級書物の赤本漫画の代表格としてスタートし、日本の漫画界を牽引し、1960年代に「鉄腕アトム」を誕生させた。
アトムの背景には、歴史的に1945年当時、日本の敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部管理体制で映画をはじめ,アメリカの大衆文化が日本に大量放出されたことが分かる。これに便乗したウォルトディズニーのミッキーマウスは、日本の漫画はもちろん、アニメ界に少なからずの養分となった。
大衆に染みる海外文化は、強い連帯感を形成させ、一体化させ、新たな創作物を生み出す。
こうして文化と芸術は、国家間の物理的な衝突やイデオロギー的な摩擦の中でも、そうして流れてきた。
私たちは1990年代後半まで、日本との滑らかでは無い歴史的関係の中で日本の大衆文化を倭色物として統制し、線を引いた。だが、その前の1980年代にも不法に流入してきたファッション雑誌や日本の大衆歌謡は若い層から密かに愛された存在だった。
1967年生まれのイ・ドンギ作家は、このような大衆媒体を通じて日本のアトムとアメリカのミッキーマウスを見て成長した。スポンジのように吸収された被造物はその後、きちんと制服を着た新たなアトマウスが創作物として誕生した。
イ・ドンギは、国境を越えて芸術に昇華された大衆文化が、循環する歴史の中でも人類を絶えず一つにつなぐ触媒であることを示している。
イ・ドンギの藤城清治に対するオマージュ作品は、1948年から日本の雑誌や新聞をはじめ、様々な作品を手がけてきたメディア芸術のゼロ世代といえる藤城清治のために制作した。
一世紀に至るまで芸術人生を生きてきた光と影の詩人、藤城清治への敬意を表した作品である。
藤城清治は古今東西の人文学的テキストを視覚的でナラティブを表現し、大衆に染み込んだ。
イ.ドンギは大衆媒体を通じて私達に馴染んでいる情報とイメージを折衷してキャンバスに表現した。
変化し続ける歴史の流れの中で藤城清治とイ.ドンギが生きて来ながら経験した世界は違っても
時間を繋ぎ、作品を通じて他者とのコミュニケーションを絶えずに追求してきた二人は今,同じ空間で協和音で疎通する。